祈りの力
「般若心経秘鍵」には、「弘仁9年(818)の春に全国で疫病が蔓延した際に時の帝、嵯峨天皇は大いに御心を悩まされ、病に苦しむ人々の速やかな平癒を願って御自ら「般若心経」1巻を書写なされ、大師に講読の勅命を下された。その功徳は、たちまちに現れ、平癒した人々が道にあふれかえった云々」という功徳によって起こった不思議な出来事の内容も記されており、嵯峨天皇宸翰の「般若心経」は現在も京都市の大覚寺心経殿に奉安されております。
令和3年2月19日に今上陛下は、御誕生日の記者会見で、「不安定な世を鎮めたいとの思いを込めて奈良の大仏を造立された聖武天皇、疫病の収束を願って般若心経を書写された嵯峨天皇を始めとする歴代天皇は、その時代時代にあって国民に寄り添うべく思いを受け継ぎ、自らができることを成すよう努めてこられた精神は、現代にも通じるものがあると思います」とお話にならています。
コロナ禍はいまだ衰えることなく世界中に大きな影響を及ぼしています。ワクチン接種は始まったばかりで一日も早い収束を祈るばかりですが、投げやりにならず、祈りの心を持ち冷静に自分が出来る事を判断する事が大切ではないでしょうか。やがて必ず安心して行動できる社会が取り戻されるでしょう。 合掌
南無大師遍照金剛
但馬支所下 長楽寺 五十嵐啓道
(2021年 第6地域伝道団 盆前のリーフレットより抜粋)
御大師様の御言葉
人は毎日、喜怒哀楽を感情に抱きながら生活を営みます。心の中に「鬼」も「仏」も同居しています。だからこそ悩み苦しみ、もがくのです。
御大師様はその「苦」をどう解消していくかをお説きになられました。それは周りの人に慈しみの仏のような境地で接してみようと、一日に、ほんの少しでも心に念じ頭に置くだけで十分だと言われました。
お釈尊さまも「過去や未来を思い煩うな、今と認識できる今を、精一杯生きることが一番大事である。考えてもどうもならないことは考える必要はない、どうにもならないのであれば考えても無駄である。また後悔もする必要がない。後悔しても何も変わらない。そのように明らかに全てを見るのだ」と説かれました。
世界にはたくさんの男女がおり、契りを交わし、十月十日、母親のお腹で育ち『おぎゃ~』と無事に産まれてくるのは50億また1400兆分の一の確率だと聞きました。ましてや年を重ねて生きていくのは、宇宙的な数字の確立だそうです。
私たちは日常たくさんの人に囲まれて生きているので、あまり自分の命の尊さや重みを感じることはありませんが、よくよく考えてみると、毎日生きていることは奇跡の連続なのです。
その尊き生命を生かす大切な生涯に、人の批評や悪口を言っている合間はありません。
御大師様の御言葉
『心暗きときはすなわち遇うところ ことごとく 禍なり 眼明らかなれば 途に触れて皆宝なり』
心が暗いと自分で不運を引き寄せている。そんな時は災いばかりに遭遇する、心を落ち着かせれば、穏やかになれる。
自分を苦しめているのは何か、自分が不運に見舞われているのは何が原因か、そんなことを考えているより、前に進めと促している。
心が不運に囚われたままでは何も解決はしないし、成長もありえない。それよりも不運を振り払い前進するのみです。
人は苦しい時に、自分以外の者のせいで不運に見舞われたと嘆きたくなる。しかし、そんな考え方をしているのは暇人だからで、成功する人はそこから脱出する術を考え、前を向いているので、人のせいにしている暇はない。
執着心
インドでお釈迦様が弟子達を連れて、法を説き歩いておられました。
ある時、一行は川に差し掛かりました。歩いて渡りかけたその時、河を渡れずに困っている若い女性がいるのに気付きました。
するとお釈迦はその女性に声を掛け、おぶって河を渡られました。
女性と別れてからしばらく歩いていると、弟子の一人がお釈迦様に訪ねました。「お釈迦様、何故先程の女人を背負っわれたのでしょうか?我々は出家の身。戒律では女人と関わることは禁じられております。それをお釈迦様ともあろうお方が・・」
するとお釈迦様はこうおっしゃられました。
「お前達こそ、いつまで先程の女人を背負っているのだ。」と。弟子達は顔を赤らめ、またいつものようにお釈迦様の後を歩いて行くのでした。
キンスカの木
キンスカの木をご存じでしょうか? キンスカの木は、ハナモツヤクノキの木がモデルとなっています。
むかし、長者の息子四人がいました。皆キンスカの木を今まで一度も見たことがありませんでした。
この四兄弟はいつもキンスカの木を話題にしては、「見たい!見たい!」と思っていました。そこで四兄弟は父親に仕えている執事の爺やに相談してみました。
爺やは快く承諾してくれましたが、大切なご子息達に遠い道のりを歩くかせるわけにはいきません。そこで爺やは父親が日頃使っている車を使おうと思いました。ただ、その車には二人しか乗れません。
爺やは父親が車を使わない日に、息子達を一人ずつキンスカの木のもとへ連れていくと約束をしました。まず爺やは長男をキンスカの木のある森へと連れ行きました。
爺やが見せてくれたキンスカの木は、ちょうど芽がふいている頃でした。長男の目には、それはまるでろうそくの炎のように見えました。しばらくしたある日。爺やは次男を連れて行きました。
キンスカの木は、ちょうど若葉が生い茂っている頃で、次男の目には、なんとも生命力あふれるさわやかな木に見えました。またしばらくしたある日。爺やは三男を連れていきました。
キンスカの木は、ちょうど花が咲いている頃でした。三男の目には、なんだか真っ赤な手のようなものがぶらさがっているように見えました。またしばらくしたある日。最後に爺やは四男を森へと連れていきました。爺やが見せてくれたキンスカの木は、ちょうど実がなっている頃でした。四男の目には、大きな福耳みたいな枝豆が実っているように見えました。それからしばらくして四兄弟が集まった時、キンスカの木が話題となりました。長男は幻想的な炎のような芽を思い出し、得意げに話し出しました。
「いやぁ、キンスカの木ってとても幻想的で、綺麗な木だよねぇ。まるで炎が燃えているようなさぁ」
すると次男がすかさず、こう言いました。「何言ってんの!? 幻想的というか、エネルギッシュでこっちも元気になるような木だったでしょう!」すると今度は三男が不服そうな顔をして、こう言いました。「はぁ? 違うだろ! あんな気味の悪いもの。赤い手みたいでさ。俺は今までみたことがないね!」
すると今度は、四男がこう言いました。「確かに気味が悪かったが、あれは耳だね。でも立派な福耳にも見えたよ!」「違う!違う」「そっちこそ違う!」四人共、互いに譲りません。最終的には言い争いの喧嘩になってしまいました。
ちょうどその時、父親が帰ってきました。四兄弟の言い争う様子を見つけた父親は、息子達に詳しく事情を聞きました。
喧嘩の理由知った父親は、今から全員でキンスカの木を見に行こうと提案しました。
そこで四兄弟は父親と一緒にキンスカの木のもとへ向かいました。キンスカの木へ連れてこられた四兄弟は皆びっくりしました。
そこは確かに以前、爺やに連れてこられた場所でした。しかし自分達の目に映るキンスカの木は、自分たちが見たもの、話したもの、そのどれとも違っていたからです。
目の前にあるキンスカの木は、葉がほとんど落ち、枝しかありませんでした。
不思議がる息子たちの様子見て父親は言いました。
「お前たちは確かにキンスカの木を見た。みんなそれぞれが正しい。間違っていない。
しかしな、同じものでも時期や角度や人によって、見え方も感じ方も違ってくる。だから決して、自分だけが正しい。他は間違っていると決めつけてはいけないよ」
同じキンスカの木と言えど、四兄弟のように時期によって、これだけ見え方や感じ方は異なります。同じものでも上から見る印象と下から見る印象、横から見る印象は異なります。
その人の感性によっても注目するところが違えば、感じ方も違うでしょう。
しかし、そのようにそれぞれ違う見え方や感じ方があると言えど、それらはまた紛れもなく真実の姿です。芽吹いたキンスカの木、実のなったキンスカの木、枯れたキンスカの木、どれも紛れもなくキンスカの木の真実の姿です。
そう考えると、私達が普段見たり感じたりすることが、その物事のほんの一部分であることを同時に教えてくれています。私達は一度に物事全体を見通すことはできません。
私達は一度に完璧に世界を見通すような能力はありません。自分が見てきた世界、聞いてきた知識は、必ずしも正しい事ではない。
私達は失敗もすれば、間違えることもある。そういった不完全さを示す意味合いが仏教には含まれています。
だから自ら愚かであると考えれば、すなわち賢い人であり、自ら賢いと思う者こそ愚かな者だと言われる。振舞うのは愚かなこと。
ちょっと覚えた知識を得意げに話し、人の話や行為が間違っているように。ただ、麗しく咲く一輪の花のように
麗しく咲ける一輪の花がある。そこは多くの人目につく公園や庭先ではなく、人が足を踏み入れることができない絶壁の岩肌にである。その花は誰かの評価を得ようという計らいは無く、又肥料が少ないとか日照時間が足りないだとかの不平も発しない。ただ(・・)与えられた環境からいのちを授かり、ただ(・・)一所懸命にそのいのちを輝かそうという健気さだけがある。
私は、この「ただ・・・」の二文字には計り知れない奥深さがあり感動があるように思います。しかし、私たち人間はどうでしょうか? 日常生活においていつも他人の評価を期待し、環境が悪いとか他人が分かってくれないなどと責任を転嫁して自分を省みることが少ないように感じます。なかなか先のお花のように達観した生き方は出来ませんが、せめて「・・・らしく」ありたいものです。それは様々な職域や立場にあってもいえることですし、人としてのありようにも繋がるのだと思います。
そこで、み仏は人間とは不完全な生きものだからこそ、人が人としてあるためには戒(かい)と律(りつ)が必要であると諭されました。戒とは自分のこころの深層から沸き出る同体の大悲心であり、律とは倫理道徳心というべきものです。この戒めこそが人の心根を育み、律するこころが日々の生活態度となって人格をつくっていきます。
昨年、ノーベル医学・生理学賞を受賞された大村智先生は、幼少期に祖母から「人のためになることを考えなさい」と、くり返し言われたそうです。この言葉こそが、先生にとって化学者らしくあるための律となり、人生の岐路に立たされたときの判断基準になる戒であったのでしょう。
うるわしき新年を迎え、皆々さまのお手元には菩提寺から修正会の御札が届いている事と思います。その御札には菩提寺の住職が檀信徒お一人おひとりに代わって懺悔をし、旧年中の行ないの滅罪を祈られた功徳が満ち充ちています。そのような有難い御札をただ飾るだけにせず、自分を律し自心を戒める拠り所として続けて拝んでみてください。そうすれば、自身が一所を照らす存在であることに気づき、懺悔と戒律によって得られるこころの変化から、この年の暮れには間違いなく、お一人おひとりが「・・・らしい」生活を送って居られるに違いありません。
ただ、麗しく咲く一輪の花のように。 合掌
但馬支所下 長楽寺 水生惠正
~新しい元号「令和」のページをめくるのは私たち~
元号は時代を区切る「しおり」であり、どんな時代であったのかと云う認識を国民が共有する一つの文化である。
平成の時世を振り返り、そこから学び始まったばかりの「令和」の時代をどう築いていくのか、みんなで考えながら時代の≪ページ≫をめくっていかなければならない。
作為的な世論や勢力に引き寄せられることなく、又混沌とした世相(世界情勢)に惑わされることなく、
身と心と暮らしを守護しなければなりません。
近頃、この三味の一体が危うい現実があります。「働き方;働く人」と「働かせ方;会社」に合理的でない関係が顕著になっている。一見勤勉な家庭の経済活動にみえる≪共稼ぎ≫は両親が必至で働かないと家が護持出来ないからであり、キャリア以外は低賃金、不安定な非正規労働、若い世代では夫婦で非正規が増えている。これでは子供が生まれるはずがない。 日本に合う労働は終身雇用を前提にして気持ちを安定させ、年功序列と成果主義を併用し意欲を向上させることで≪勤勉な≫戸主を育て健全な家庭を作る形態である。
戸主が継承されなければ家と地域が崩壊する。そして田舎の寺院ではお寺の護持に大きな影響を与える。
又、時代の流れと云うより風評と思える現象が気がかりです。
≪終い≫の文化? 仏壇、墓、家。 断捨離ではあるまいし、かっては慎む様なこともネットやコマーシャル営業で流し、さして抵抗もなく≪費用対効果≫に引き寄せられる。
その先に葬儀や供養事も取り込まれ、本意を説く間もなく流されていく。
実情とは云え、変化に違和感のある≪魂の文化≫はアンタッチャブルであってと願う。
而して、「この世界が生きるに値すると云う確信を、次の世代に伝えていくこと」が宗教の役割であることをご承知願えれば幸いです。 合掌
但馬支所下 両界院 石部道宣
但馬宗務支所
〒668-0056
豊岡市妙楽寺86-1 妙楽寺内